アクシデント2003
Happy birthday 12/15        舌苔 12/8      床屋さん 12/4
ジョクソウ予防講習会11/19   ご機嫌如何?      ショートスティ その2
ショートスティ  その1      入浴介助         わあ〜ぉ! 11/1
透析を初めて、3年        私の調子の悪い時には   お留守番 その後
お留守番              血圧 その後  10/1      ジョクソウ
血圧が高い  9/17        転倒その後        転倒 8/16
回復                  痛み  8/3
Happy birthday  12月15日
 今日は母の81歳の誕生日でした。
お赤飯と茶碗蒸、とりのから揚げで、お祝いです。
それと、プチケーキ。
小さくて、母には不満のようでしたが、ペロリです。
”もうひとつ、食べる?”の声にしっかりうなずきました。
でも、お腹もいっぱいのようで、なかなか食べられません。娘に
”私が食べていい?”と聞かれても、返事がありません。
”じゃあ、明日食べる?””うん。”うなずきました。

子供に帰るというのはこういうことなんだぁ。

夜、妹の長女からお祝いの電話がありました。
昨日、妹から電話があった時はプレゼントの話がしっかりできましたが、今日は・・・。
せっかくの電話でしたが、あまりお話は出来ませんでした。
でも、うれしそうにニコニコしています。久しぶりの孫の声はよく聞こえているようでした。

今日の料理メモ
* お赤飯は消化のいいように、柔らかめにしました。もちろん、塩はいれません。
  食べる時に、家族はごま塩をふります。
* から揚げは母のものだけ、海苔で巻いて味は付けません。
  食べる時にポン酢を少しかけます。
* 茶碗蒸  中に入れる、しいたけは家族の分は煮付けていれますが、母の分は早めに
  ひきあげ、あまり味をつけません。ささみもそのまま。
  卵の出し汁は家族と一緒の味付けにし、量を少なくしました。
  出来上がりに、ゆずを少々。
  味付けがいつもより濃い目になりましたから、母はすぐに食べてしまいました。
  

舌苔     12月8日
 2週間ほど前、何気なく見た母の口の中。舌が白くなっていました。もっと、大きく
開けさせて舌をべ〜っとさせました。ぎくっ!奥のほうは、白をとおりこして、うぐいす色?
これは、なあに?カビ?そう言えば、入院していたどこかのおばあちゃんが、看護婦さんに
いつも口の中の消毒をしてもらっていたのを思い出しました。

うがい薬を飲み込む事が多くなって、この頃はお茶ですませていました。

早速、歯磨き綿棒を買ってきましたが、舌の苔は取れません。
ゴシゴシできませんし、口を開けさせているだけでもたいへん。噛みつかれちゃうし・・

”口を大きく開けて、あ〜ん!もっと・・べ〜っと”
それを見て、母は笑うんです。私の、あごの方が疲れてしまいました。

舌みがき用の歯ブラシを買ってきて使ってみました。これはうまくいきました。ただ、1回や
2回ではとれません。また取ってもいけないと思い、朝、夜とみがき、うがい用のイソジンを
薄め、うがいをさせました。味が極端に悪いのか、一度も飲み込むことはありませんでした。

おかげで、舌苔はなくなりました。
そう入れ歯ですから噛まれても痛くはありませんが、口を開けさせるのはむずかしい・・・


床屋さんへ
   12月4日
 母の髪の毛が伸びて気になっていました。なかなか出かけられずにいましたが、
もう12月になってしまいました。さあたいへん!いつも母は暮れになると、忙しくなるからと
早めに、美容院に出かけていました。
車椅子が入る美容院も思い当たらないので、歩けなくなってからは、病院の床屋さんに
いく事にしています。車椅子のままで、出来ますし、母のようにじっとしていなくても、
上手に話しながら、切っていただけます。シャンプーして3500円。母も満足です。

その日の夕方、入浴介助にヘルパーさんがきてくれました。
いつもは、シャンプーしていただきますが、
”あそこで、洗ってもらったから、今日はいいわ。”
自分の気持ち?考えを他の人に話すのを久しぶりに聞きました。ヘルパーさんもびっくり!

床屋さんに随分誉めていただきました。
”白髪がすくないねぇ〜、おばさん、70にはみえるよ。”なあ〜んて言われたから・・・
気分、よかったんでしょう。
確かに、母の白髪は少ない、染めてるみたい、なんて言われる。
娘の私のほうが、白髪、おおいかも・・・


ジョクソウ予防講習会  11月19日
 お友達の紹介でジョクソウ予防講習会へ出かけてきました。看護師さんや施設で働いて
いらっしゃる方が対象のようでしたが、参加できました。

居眠りもせずしっかり聞いてきましたが、間違いもあるかもしれません。こんなこともあるんだ
ぐらいにお聞き止め下さい。参考にして、お医者様やヘルパーさんに改めて、お聞きください。

大きな病院が合同でその地区からジョクソウをなくそうという取り組みの一環として開かれたもの
でした。その病院では確実にジョクソウが減り成果が上がっているということでした。
ただ、病院へ来る前にジョクソウになっている人は、横ばい状態・・・
そこで、地域にも広げ、ジョクソウ、0(ゼロ)を目指そうというものでした。

◎床ずれはOHスケールで予防できる
    OHスケール・・・ジョクソウになり易い、危険度を点数表で表すもの。(自立能力があるか
              仙骨部がでているか、浮腫があるか、関節拘縮があるか、等)
              出来る前に、予知する。
◎リスクにあわせたマットレスの適時使用   
◎お尻があかくなっていたら注意。
◎(皮膚を)押しても白くならなければ床ずれです。
◎治療よりも予防
◎皆で床ずれ0をめざしましょう。
    この”皆”は病院、施設、家族だと思います。
これがおおまかな内容でした。母以外のジョクソウを見た事のない私は、パワーポイントで映し出された
映像はショッキングなものでしたが、非常にわかりやすく、無駄のない説明に聞き入っていました。

ジョクソウの原因は圧迫である。
   圧迫を少なく・・・寝具の選択、体位変換など
              横向きの時にかかる圧迫は、上を向いている時よりも大きい。
              膝を立てていると(曲げていると)お尻により圧力がかかる。
     皮膚のずれに気をつける。
              ベッドを起こした時にそのままにするとお尻の下で皮膚がずれたままに
              なっている。
            
   圧迫を受ける皮膚をケアする。
              ぬるめのお湯で、弱酸性の石鹸。こすらない。
              撥水性のクリームをぬって、汚れの予防をする。
              発赤しているところにはフィルム材を貼る。
              テープを剥がす刺激を最小限に、はがれてしまう場所には貼らない。
              フィルムは皮膚と平行になるように伸ばしながら除去。
              リムーブなどの剥離材を使用して除去。
   栄養状態を整える。
              
寝たままでジャッキアップした時、動ける人は自然に体を動かし、皮膚のずれを直す事が出来ます。
でも、動けない人はずれはそのままになり、痛みがでてくるようです。
足の部分を最初に上げてずれを防ぐのも良いようですが、結局はマットの問題のようです。
母が時々横に倒れそうになるのはそのせい?

車椅子も、同じようですが、今回の中ではあまりくわしく話されませんでした。
でも、腰の部分が90度で座る事、膝も、足首も90度になるようにするのが、良いそうです。
が、母のように、ずりっとなる人はどうなのかと、疑問もわきました。

ジョクソウをどこまで知っていたかといえば、自信もなく・・・知っている事でも、これって、本当?
と思う事もありました。看護師さんでも、言う事にばらつきがあり、迷う事ばかりでした。
母がお世話になった病院の先生の講習会でしたが、病院の中でも婦長のジョクソウの取り組みが
良い所は、少なく、病棟によっても対処の仕方が違っていた事も認めていらっしゃいました。

さしあたって、私はテープの剥がし方に注意し、お尻の洗浄をやさしく、優しく拭くことにします。
コンピューター圧切り替えのマットが一番良いそうなので、考えてみようと思います。
今は高機能のマットレスなんです・・・

日曜日、もう一度、この先生の講習会があります。出かけてこようと思います。


ご機嫌如何?
  11月16日
 ”おばあちゃん、おはよ!ご機嫌如何?”
私は朝、母を起こすたびに、こう声を掛けます。毎朝です。
”ご機嫌?いいですよ〜”と返ってくるときもあるし、
”まあまあ〜ですね〜”という時もありますが、声が出る時は調子が良い時です。

カーテンを開けると
”今日は雨ですかねぇ〜”
”雨でもデイサービスはありますよぉ〜”
すると、母は
”そお〜”と、とても嬉しそうです。

骨折をしてから痴呆が進み、何をしても、何を言っても、張り合いのない返事でした。
それが、私が肩をいためたり、ショートステイに出かけたり、刺激が多かったのでしょうか。
母の意識?がはっきりし、言葉が増えてきました。1年がかり?です。

だからといって、痴呆が治ってきているとは思いませんが、看ている私には嬉しいことです。

”デイサービスでお風呂にいれてもらったでしょ。”
”ううん、いれてもらや〜あへんよ”
”じゃあ今度、大きな声でお願いしましょ。”
”そうだね”

まあいいっか!こんなんで。


ショートスティ
  その2
  11月9日
 京都から帰ると大急ぎで母を迎えにいきました。
先回のことがありますので、心配はつきません。でも、7日の夜に、”緊張していますが
大丈夫ですよ”という電話を頂いていました。緊急の連絡もありませんでしたから・・・

迎えに行くと、母はホールでテレビを見ていました。
見るかぎりでは、いつもと変わりありません。手続きが済んで母に声をかけました。
”おばあちゃん迎えにきたよ”
”ど〜こから、きたのお〜”
元気!?ハイテンションなのです。
”ご飯、食べたんでしょ”
”ん、食べたよ、あんたは?”
”○○が作ってくれたから、今食べてきたところ”
”そりゃあ、よかったね〜”
母の会話が成り立っていきます。先回のだんまりとは随分違います。

楽しかったようです。

夫が一言”お母さん、よかったね、安心したでしょ”ぼそっと耳もとでささやきました。
自分が京都で、楽しんできましたから、すこし、後ろめたさもありました。
母の機嫌の良さに、ほっとしました。

はじめて、”楽しかったあ〜〜京都!!”そう思いました。

ショートステイその1
   11月7日
 甥の結婚式に合わせて、母は2泊3日のショートスティに出かけました。
今回は特養ホームへ、ショートで受け入れていただきました。
透析患者であることで、なかなか受け入れ先がありませんでした。ケアマネさんの
”一度預かってください、透析のない日は普通の方と変わらないんです。”と言う言葉で
預かっていただけたようです。ですから、ホームでは看護婦さんを初め、栄養士さんも
勉強していただいたようです。私も、母の一日を細かく一覧表にして、母のことを解って
いただくようにしました。なにせ、本人は意思表示しませんから・・・

透析が終わって、母をホームへ連れて行くときには、気を使いました。
自宅から近くです。便利は良いのですが、母がここのホームのことを覚えていたら
どうしようかと思いました。今までの、母の記憶に残っているホームのイメージが
解ってしまったら、母は戸惑うはずです。
そこで、自宅から、すぐに向かうのではなく、少し遠回りをしてでかけました。
ホームの近くに来ると”○○ホーム”の大きな看板が・・・こんな所にこんな大きな看板・・
母がそれを見つけたら、きっと、いやな思いをするだろう。
大きな声でおしゃべりしながらそれを、やり過ごしました。

 母は随分緊張していました。


入浴介助
   11月4日
 初めての、訪問入浴です。母よりも私のほうが緊張していました。
お風呂場に他人が入ることはお客様以外ありませんでした。急に、我が家の風呂場が、
薄汚れて、見えてきました。だけど、あまり動くと、肩も心配です。
”どうしよう”すかさず、夫は
”このままで、いいじゃん!”
このあたりの考え方は、男と女ではやはり、違いがあります。夫に言わせれば、肩が痛くて
ヘルパーさんにお願いするんだから・・・考え違いしていない?なんですが・・・
なるほどなんです。でも、女である、娘と私は、でもねぇ〜なんです。が、娘には時間がない、
私は、肩が痛い、結局、普通のお掃除にしとこう。という事になりました。

送迎介護をして下さっている、お兄さんが入れてくれました。
母にはわきの下まで人工血管が入っていますので、脇を持つことが出来ません。
それでも、上手に母を湯船に入れて下さいました。1年ぶりの自宅入浴です。
普段はシャワーだけでしたので、寒くなるこれからは本当に有り難いです。
母も最初、緊張していたようですが、顔なじみの方に入れていただいているので、安心した
ようです。
私が感じたこと、なんて優しいんでしょう!ひとつひとつ、声をかけながら、洗っていきます。
その都度、母も返事をするんです。
私の時とは大違いです。私より優しい・・・

汗びっしょりのおにいさんも、初めてですから、たいへんだったようです。
”慣れたら、もう少し時間も短縮できるし、もっと良い方法があれば考えます”と言ってくれました。
その夜、早々と、いびきをかいて、寝てしまいました。

その後、私や家族が思ったこと、夜のお風呂がないと、楽なんだぁ〜。


わあ〜ぉ!
  11月1日
 午前中、外を満喫して熟睡していた母。会話もどことなくしっかりして、冗談交じりに話すと
とても、楽しそうでした。1年前は、同じ会話でも、私の心が許していませんでした。どこか
トゲトゲしていたような気がします。歩けなくなって、何にも出来なくなった母を前に、私が
だんだん、落ち着いてきました。どんな返事が返ってきても、許せるようになりました。
 それが、許せるどころか、まともに返ってきます。正直、嬉しいです。

夕方、食事の支度をしながら、パソコンもし・・・母を食事のために起こしに行きました。
なあ〜んと、布団を半分はねのけ、横向きになっています。足は両足ともベッドの外。久しぶりに
息を呑みました。
”どーうしたの?”
”あれを、片付けなくちゃ・・・”窓の外を指差しています。
窓の外には、昼間さしたパラソルがそのままになっていました。
”・・・・後で私が片付けるからぁ”

はあちゃん、復活!!・・・慌てて柵をしました。


透析を始めて3年   10月30日
 母が透析を始めて、3年になります。
同室の方に”2〜3年したら落ち着くよ”と言われ、そんなにかかるのかと、正直、
ためいきが出ました。ところが、その後の日にちの過ぎるのが早いこと・・・
月、水、金、月、水、金、のリズムなんでしょうか。日にちに、後押しされてきたような
気がします。

透析をしなくてはならないと解った時も、まさか、母がこんな状態になるとは予想して
いませんでした。透析をすることで、生活がもっとしやすくなると思っていましたから。
私も、誤算していましたが、母も同じだったかもしれません。
こんなはずではなかった・・・って。

あの時は、大変だった。と思うことはあっても、今、大変だと思わない私の性格が
良かったのか、毎日を淡々と過ごしてきました。
でも、振り返れば大変なことはいっぱい、山ほどありました。

”お世話をすると、きっと良い事あるよ。むだじゃあないから”
人から、そう言われても、ほんとうかしら?なんて思ったりして、その場限りに、
”そうですね。”なんて、あいずちをうっていたけれど、今は、無駄にはなっていない。
ということは良く解ります。良いことがあるかどうかは解らないけれど、介護をしなければ
、解らなかったことは、いっぱいあります。

無事、3年を迎えることが出きました。落ち着いています。


私の調子が悪い時には 10月27日
 昨日から続く肩の痛みに、母のことを家族がかわるがわる面倒を看てくれていました。
その度に、”おかーさんの肩が痛いからね”と皆に言われ、母も少し考えたんでしょう。
”あんたは、だいじょうぶ?”と、きずかってくれました。ここの所、こんなことはありませんでした。
会話もすこし、続きます。
妹の、誕生日のカードにも妹の名前と自分の名前が書けました。

私の調子が悪い時、母の調子は良いことが多いような気がします。


お留守番 その後  
10月14日
一晩たてば、良くなるかな。このまま、またボケ状態?心配はつきません。
ボケの状態でも、他人が見ると、同じじゃないかと思われることでも、家族が見ると良いとき
悪い時がありまして・・・今、まさしく悪い状態。
ずーっとよい状態が続いていましたから、私はがっかり状態です。

それに今日は皮膚科受診の日、ダブルパンチ。

”お昼ご飯、何にする?”の長女のこえ掛けも無視。
”無視?”もしかしたらです。
”お昼、お寿司にでもしようか?”はっきり、うなずきました。もおー!!
”皮膚科の帰りに、ジャスコによって買って来ようか。”
”それも、いいねえ”
今まで、一言も話さなかったのは、どうやら機嫌が悪かったようです。
私をこんな所に入れて・・・だったんでしょう。
”おばあちゃん、怒ってた?ごめんねぇ。今度は、温泉付きのところにするからね。
それなら、いい?”
”そうねぇ”
あ〜よかった。ほっとしました。ショートステイの問題はまだまだありますが、今日の所は
一件落着です。

お寿司、自分で選びました。私が指差したのではなく、甘えびののった高いほうのです。
今日はとっても良い状態です

お留守番  
10月13日
 
姪の結婚式のため母に透析クリニックへ泊まってもらいました。
入院と言う形なのですが、食事の介助がいります。今回は妹と姪が助けにきてくれました。
 
13日透析後、お迎えに行くと、母の顔つきが変わっていました。妹たちが来てくれていた
時には、食事も”完食だよ”と報告を受けていましたので、安心していたのですが・・・
何を聞いても返事がありません。たった、1日だけなのにと、ため息がでました。
聞くと、朝もほとんど食べなかったようです。結局、お昼ご飯もほんの少しで終わって
しまいました。
”お家でなにかおいしいもんでも食べましょ”
いつもなら、”そうねぇ”と言うのに今日は反応しません。

今回、初めて母を預けました。透析をしていると、ショートスティがなかなかでき難い
ということを実感しました。入院施設のある透析クリニックではほとんどが、そこに
入院させていただけるようです。母の行っている所は6人ぐらいしか入院できません。
1ヶ月ほど前からお願いをしておきましたが、前日、
”入院できます。ただし、スタッフが一人しかいませんので、食事介助をお願いします。”
と連絡をいただきました。
OK頂いているものと、思っていたので、これにはびっくりでした。
 

血圧  その後 10月1日
 
母の血圧は相変わらずです。
お薬を変えても、なかなか下がりません。その度に母のドライウエイトが下がって
いきます。(ドライウェイト・・・透析後の体重。増えた体重を透析をすることで、決められた
体重にまで戻す?水分を引いて、もとの体重に戻す。)
200グラムづつ下がって、今日は42.8キログラムになりました。

不思議なんですが、血圧が高くても母は、案外平気です。目が回るとか、気持ちが悪く
なるとか、今の所はありません。

お医者様に任せるしかありません。
  

じょく創  9月29日
 仙骨のあたりにまたじょく蒼らしきものが・・・
いつも、繰り返してしまいます。何が原因だろうかと考える、やはり、車椅子かなぁ。
透析の後で皮膚科に受診。

深くはないから、乾かさないように、薬を塗る。
ガーゼがずれないように、しっかり止める。
車椅子への移動で、おしりをずらないように。

母は車椅子に乗っていると、すこしづつ前にづれていきます。それを直すのに、
よいしょと、後ろから引き上げるように、座りなおさせます。受診中にもやりました。
すると、看護士さんに、
”なるべく、高めにお尻を上げて座らせなさい。そこで、ずっているよ。”と、
指摘されました。
あ〜そうなんだ、と素直に認めたものの、これって、随分力が要る。

それにしても、皮膚科受診に2時間は疲れました。


血圧が高い 9月17日
 
どうしてなのでしょう。母の血圧がなかなか下がらない。朝190/80前後、夕方も
おなじようなものです。朝と夕に血圧降下剤を飲んでいますが・・・効き目がなく、
来週から、お薬が変わることになっています。あまり下がらないものだから、医院
まで、血圧計を持っていったけれど、異常はありませんでした。

もともと、母の血圧は高めでした。でも、高め安定では困ります。


転倒 その後
 
お陰様で、おでこの傷は1週間でテープが取れました。ところが、母はご飯を自分で
食べなくなってしまいました。お箸が持てません。
”グッパー、グッパーしてごらん”
と言うと、手を開いたり、閉じたりできます。指の骨折を心配してレントゲンも撮りましたが
異常なしでした。本人は言いませんが、私は多分就き指のような状態で、痛いのかと、解釈
していました。
ところが、なぜ持てないのか、解りました。

母の右腕には、3日に打った痛み止めの注射の跡、ゴムで閉められた跡が赤紫になって
います。その跡を触りながら
”ここが、こんな風だからねぇ”
と言います。母はどうも勘違いをしていたようです。
”痛くて、お箸が持てないでしょうから、しばらくたべさせてあげるわね。”
”それがいいねぇ”
母は、とても嬉しそうです。
”でもね、グッパー、グッパーしないと、お箸持てなくなちゃうからね。”と念をおしておきました。
あわてて、グッパー、グッパーしています。
 
それに、好きなものは、私が食べさせる前に、食べ始めています。もう、大丈夫です。

転倒   8月16日
 
1週間に一度のデイサービスの日、便座から前に転倒。電話を受けて駆けつけた。おでこに
ガーゼをあててもらい、出血は止まっていた。透析をしていると、血液を固まりにくくする薬を飲ん
でいるため、普通よりも出血しやすいし、止まりにくい。
説明を聞きながら、ヘルパーさんの真剣な顔を見て、戸惑った。
確かに、サービスを提供する側から見ると、わずかに目を離したためにおきた事故かもしれない。
でも、私は責任を追及しよううなんて、思ってもみなかった。
 その日の夜、電話があり、便座の前に車椅子を置くことにしたそうです。直ぐ、対応して
いただけたことに、感謝です。

 母はこのところ、自分ではほとんど動こうとしない。出来るのではないかと思うことも、しない。
説明のつかない動きをしていたのは、骨折以前で、その頃は、目が離せなかった。もしかしたら、
その頃に戻ったのかもしれない。と言うのも、何となく調子がいいんじゃないか、と
思うところがあった。僅かだけれど・・・私も、目が離せない!
 
 結果、おでこの傷も縫わずに、テープで固定。骨折もなし。
ヘルパーさんと二人で”ほっ!”です。
 
 不思議なこと。母は頭から前に転倒し、おでこが切れた。トイレで、床はタイル。
それなのに2センチほどの切り傷ができました。??どうしてなのかな?
その答え。保育士をしている娘の説明によると、タイルとタイルのつなぎ目に、皮膚が当たると
その目に沿って、皮膚が切れると言うのです。それが木でもつなぎ目があれば同じように、
なることがあるんだそうです。私は知りませんでした。

 
回復   8月4日  
嘘のように、今日は普通。
私たちは、眠くて、眠くて。でも、どこが、どうなっていたんだか、少しもわからない。血管注射を
したときにゴムで縛られた跡だけが、赤くなって痛々しいけれど、何事もなく、一安心。

透析クリニックで報告。震えは熱が急に出たためではないか、ということだった。そのために、
体の節々が痛かったのかもしれない。痛み止めのおかげで、熱も痛みもなくなり、いつもの
ペースに・・・よかった、よかった。ほっ!。

痛み  8月3日
 
 夜9時ごろ、ベッドに入る。
車椅子からベッドに移す時、”うっ!”と母の体が固まるのを感じた。??どうしたんだろうかと
、足をベッドにあげたとたん、
”いたっ。”足が痛いの?と聞く私に
”そんなに、痛くない。”
見ると顔が固まっている。口も心なしか震えている。以前、骨折したあたりを触ると、痛いようだ。

 先月、整形外科の検診を受けた時に、骨がもろくなっていることは告げられていた。動かない
ために余計骨も、もろくなりやすいことも聞いていた。私の頭の中に、母のレントゲン写真が
ひろっがった。

 病院に電話をすると、連れてくれば、診ます。と、言ってはくれたが動かせば痛がるし、
車椅子に乗れなければ、連れて行かれない。じっとしていれば、痛くはないようだし・・・
明日まで待とうか迷ってしまった。念のため、血圧、体温を計る。190/85  37.5度。
血圧降下剤をのんで2時間ちょっと高い。熱もある。そんなことをしているうちに、母の口元が
ワナワナと震えてきた。

 私の決断、救急車を呼ぼう。

 医師の診断  1ヶ月前のレントゲンとほとんど変わりはない。何時、痛みが出てもおかしくはない。
痛み止めをうちましょう。熱と痛みは関係はない(救急車の中で38.5度にあがっていた。)
ということだった。ただ、透析をしているので、痛み止めは飲み薬に、血圧を下げるのも点滴でなく、
注射でということになった。その頃、血圧は220まで上がっていた。当然、母はもどしはじめていた。

 血圧が下がったら、帰っていいですよ。その声に、夫婦で反応。
 ”えっ!どうやって帰るの?”
ある程度痛いのはがまん。本当にそれしかないの?である。

 幸い、痛みはがまんできたようで、12時過ぎ、帰宅。痛み止めが効いたらしく、直ぐに、寝息を立てて
寝てしまった。

 私は、新たな不安になかなか眠れなかった。もし、車椅子に乗れなくなったら、母はどうなるんだろう。
考えるだけで、切ない。